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2005年 02月 21日
ビデオで「デッドマン・ウォーキング」を観ました。
ビデオ店で、箱カバーにかかれたタイトルを見たとき、「死者が歩く」という題から、オカルト映画かな?と最初思ってしまいましたが、解説を読むと、死刑廃止を訴える主人公のカトリックのシスターと死刑囚の物語だということがわかりました。 そして、この「デッドマン・ウォーキング」という題は、殺された被害者が、残された人々の心の中を「歩きまわる」、まさしく前回のわたしの記事に関連した映画かな?ということで、さっそく借りてしまったのです。 でも、これも間違ってました。 映画の中で、死刑囚(ショーン・ペン)が死刑台へと向かおうとするとき、看守が叫ぶ言葉- “Dead Man Working!” 「死刑囚が行くぞ!」という言葉から取ったものだったのですね。 そしてその言葉のあとにカメラは、死刑台へと向かう死刑囚が手錠と足かせを引きずりながら歩く姿を映し出す。そのとき鑑賞者の誰もが、ハッ!とします。 これは、キリストが十字架刑へと向かう姿と一緒だ! この映画は、主人公であるシスター自身の体験をもとにして書かれたものが原作らしい。 スラム街で子どもたちの世話をしているシスター(スーザン・サランドン)は、ある日、このショーン・ペン演じる死刑囚から、面会して上訴の手続きを手伝ってくれとの依頼の手紙を受け取る。 彼は仲間と二人で若いカップルを森に連れ込みレイプした上にショットガンで撃ち殺したとして死刑判決を受けている。やがて、このモンスターのような人間に肩入れ?していくシスターを、被害者の家族や周囲の人々の多くは、批難して軽蔑するようになる・・・。 死刑囚を演じるショーン・ペンが抜群にイイ。 小難しい倫理や思想、ましてや宗教などには、まったく思考回路を持たない男のシグサや表情もうまい。そしてラストに彼流の解釈ではあるけど、「改心する」ときの演技もまったくわざとらしくなく、鑑賞者も自然に感情移入できると思う。 主演のスーザン・サランドンは、この演技でアカデミー主演女優賞を受賞したようですが、ペンのほうが、はるかに光っていたように思う。サランドンの演技は、ちょっと純粋な女性を作っていると感じてしまうところがあり、もう少し若い役者があの演技をしたら申し分ないと思うのですが、結構年齢がいっている賢い女性というイメージが強いサランドンだと、もうちょっと達観している雰囲気があってもいいように感じました。 この映画は「なぜ人を殺してはいけないのか?」ということを考えたい人には必見の映画だと思います。 ただ、シスターが言う「人が人を殺してはならないのは、神様がそれをお許しにならないから。」という考え方には、無宗教の日本人、とくに無信仰者になってしまったわたしのような人間には、いまひとつピンとこない。 でも、この「なぜ殺しては・・・」という疑問に答えるのは、宗教を持ち出さずに説明するのは、簡単そうで実に難しいことです。それは、とても陳腐な答えになってしまう。 数年前に放映された「News23」の「夏休み特集」に出演していた高校生が、「なぜ人を殺してはいけないのか分からない」という疑問に対して、大人たちのほとんどが、まともにその質問に答えることが出来なかったという印象を視聴者に与えたこの番組を、記憶している方も多いと思います。 その番組にも出演していた柳美里が、その質問に答えるかのように「ゴールド・ラッシュ」という小説を書いたということも記憶に新しい。 「神や宗教は人間が作ったもの」と考えるのは、合理主義的思考が必要な現代人には、簡単に発想できることだと思います。でも、昨今の思想界では、近代的合理主義が、危うくなってきたと考える風潮が強いのも事実です。 この辺のところは、思想・哲学に明るいpunyoonさんのほうが詳しいのかもしれませんが、たとえば、すでに過去の思想のようになってしまった感のあるレヴィ・ストロースの「構造主義」でも、「近親相姦タブー」を例に取り、因習や風習に縛られて暮らしている未開人が、現代の合理主義的思考がようやく到達しようとしている考え方をすでに実践していたと論じられていたように記憶してします。 いずれにしても、良きにつけ悪しきにつけ、「宗教のようなもの」に関わってしまったわたしたちには、観る価値のある一本だと思います。 あ、そういえば、この映画の中で、シスターのサランドンが、家族から「なぜ、そんなモンスターみたいな人間の面倒を見るの?」という質問を受けて、 「わからない。捕まってしまったって感じ。」 と答えていたけど、このブログをほぼ毎日(最近二日に一度になってるけど)書いているわたしも、ほんと「捕まっちゃった」て感じがする。 このままでは、わたしは、エスをめぐる事柄に一生こだわってしまうかもしれない。 先日の記事に登場してもらった「半分弁護士」さんの「そんなことに関わるより金稼げ」という言葉はまさしく健全で、わたしも半分納得している。 でも、半分は、多いにこだわっていいのではないか、と考えています。 これは、単なるカルト×反カルトという単純な図式ではなく、人間の心が持つ回答困難な問題をかかえているといまは感じています。その複雑で大切な問題に、わたしたちは、関わってしまった。 でも、そのことによって、いろんなことを考え、心の幅を広げ、人間として大きく成長するには格好の素材を体験している。考えようによっては、わたしたちは、非常にラッキーな存在なのではないでしょうか。 だいたいそんなに簡単に騙されてしまうようなヤワな、わたしたちでしょうか? エスがただのカルト宗教だと簡単にかたずけられる存在でしょうか? そんな、ちゃっちいカルト宗教にひっかっかるようなアホな存在でしょうか、わたしたちは? このこだわりをマイナス方面でなく、プラス方向に替えていくことは、多いにできるといまは、実感しています。 わたしは、いずれこのブログも、いままでの「はなれエス全員がシアワセになろう」という目標はそのままにしながら、さらに一般社会の人々にもメッセージを送っていけるようなものにしたいと考えています。 なんて、言うとまた始まったか「誇大妄想」が、と思われてしまうかもしれません。たしかに大したことはできません。でも、小さなメッセージなら送ることは誰でもできます。 わたしは、その手始めとして、ちょっとクダラナイ発想かもしれませんが、ネット古書店を作ろうとしています。ただの古書店ではなく、古書を通して、わたしなりのメッセージを発信していこうなんて考えています。 よかったらコチラを覗いてみてください。徐々にホームページが出来上がっていくところが確認できます。ご期待(?)ください。 いちおう3月15日開店をめざしています。
by anoano21
| 2005-02-21 22:22
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